昨今、少子高齢化により我が国は女性に労働力を求める一方、女性が働くための環境整備が求められている。中でも待機児童問題が、女性が働くための環境整備の一つとして解決が急がれる問題と言えよう。第2次ベビーブーム世代の子供の卒園に伴い、保育施設の増加はピークを迎え80年代以降減少の一途をたどる背景があり、90年代以降の共働き家庭の保育施設に対する需要の高まりに供給が間に合わない結果、待機児童の増加へと発展したと思われる。
私は共働き家庭であるが、幸か不幸かまだ子を持つ親ではない故、この問題に直面している当事者ではない。ただ、この問題に関心を寄せる出来事があった。
共働き家庭が保育施設に子供を預けることができなければ、頼みの綱は祖父母にある。私の母も然り、孫の面倒を見ていた。この間、母と姪と私の3人で公園へ訪れる機会があった。母はおもむろに公園の池に小石を投げ入れた。姪が祖母をまねて同じように小石を放り込むかと思いきや池の水面に漂う波紋を眺めていた。母が姪に小石を持たせて池に投げ入れるように促していた。姪は小石を持ったまま本当に投げ入れていいのか、私の方を訴えるような目で見ていた。齢3つくらいで善悪の分別がつくものだと姪が小石を池に放らなかったことに私は感嘆した。私は母に小石を池に放ることはよくないのではと問うた。すると、母は巷ではモンテッソーリ教育が子供の自発性を育むのにいいだなんて聞いている。母曰く、これもモンテッソーリ教育の一環だそうな。姪には然るべきモンテッソーリ教育が受けられる保育施設に入れることを願うばかりである。